宗教改革

ルター以前の宗教改革

宗教改革と言えば、ルターによる教会批判が知られていますが、実はそれ以前からすでにいくつかのカトリック教会批判運動は発生していました。

1096年~1270年に至るまで続けられた十字軍遠征の失敗や、それによる教皇の権力の失墜、ルネサンスの進行などの要因から、カトリックに対する批判が徐々に強まっていたのです。

ローマ教皇の権威を否定したイギリスのジョン・ウィクリフをはじめ、免罪符による教皇庁の腐敗を攻撃したボヘミアのヤン・フス、フィレンツェの道徳的腐敗を批判したジョルダーノ・サヴォナローラなどがカトリック教会批判運動の代表的な存在です。

ただし、彼らはいずれも異端として火刑に処されるという末路をたどることとなりました。
このようにして、じわじわと進んでいたカトリック教会批判運動が高まったところに現れたのが、ドイツのアイスレーベンに生まれた神学者、マルティン・ルターだったのです。

 

広がる宗教改革

ルターは、聖書学の教授として「神の恩恵と信仰によってのみ、人は神の前で義とされる」という福音の再発見をします。そして、このことから、「95か条の提題」という形で、すでに教会の慣行となっていた免罪符(贖宥状)の販売に対する抗議を開始したのです。

ビッテンベルクの城教会の扉に張り出されたという95か条の提題は、多くの人々の同意を得ることとなり、やがてその動きが宗教改革へと変化していきました。

ルターはその後ローマ教会から破門され、皇帝カール五世から帝国追放まで宣告されますが、ルターを支持するフリードリヒ選帝侯によりかくまわれ、新約聖書のドイツ語訳を完成させるなどの仕事をこなしました。

このとき、カトリックを保護した皇帝カール五世側の立場に対し、ルターら宗教改革を求めた人々は「プロテスタント(抗議者)」と呼ばれることとなります。

このような宗教改革の動きは、エラスムスやツヴィングリ、カルヴァンといった人文学者や改革者らによって、さらに各地で広がりを見せることとなりました。